TOP > 地域情報紙 > ヨコハマ想い vol.16 児童文学者 佐藤さとるさん

ヨコハマ想い


「さめて見る夢」
児童文学者 佐藤 さとるさん

profile
1928(昭和3)年横須賀市生まれ。横浜市在住。早くから童話作家を志す。1959(昭和34)年、初の単行本『だれも知らない小さな国』を出版。これに続く「コロボックル物語」シリーズは、ロングセラーとなっている。毎日出版文化賞、国際アンデルセン賞国内賞など受賞多数。

幼い頃、だれもが一度は手にしたことがある『だれも知らない小さな国』。心やさしき青年、せいたかさんとコロボックルの交流をみずみずしく描いた物語は、半世紀を経た今も読み継がれている。
現在87歳。執筆活動を続ける佐藤さとるさんに、子ども時代の思い出や創作にかける思いをうかがった。

鎌倉郡戸塚町へ

 横須賀で生まれ、小学5年生の1学期に戸塚へ引っ越しました。当時は鎌倉郡戸塚町という住所でした。6年生の時に戸塚が横浜市に編入されて。だから僕が横浜市に来たわけじゃなく、向こうから僕のところに来たわけだね(笑)
 当時の戸塚は育った横須賀とは全然違う雰囲気。家の周りは田んぼばかりで、夜はカエルの声しか聞こえなかった。越してきた当初は友達もいないから、授業中もまじめに聞くよりほかなくて、戸塚に来たら優等生になっちゃった。横須賀では授業中も落ち着きがなくて、先生に怒られてばかりだったのにね(笑)

日本のフェアリーテイル

 コロボックルは長い間かかって生まれた話です。子どものときからフェアリー(妖精)が好きで、一種の魔物、魔性のものを書いてみたかったんです。でも、フェアリーは西洋のものだからしっくりこなくて。そこで、日本には一寸法師の話があるじゃないかと、一寸の小人の話にすることにしました。
 ただ小人の話を作るだけでなく、何か伝統的な裏付けがほしいと、思い当たったのが小さな時から読んだり聞いたりしていたコロボックルです。両親が北海道出身で、家にアイヌの本もあったのです。大好きだった宇野浩二さんの『蕗の下の神様』に、コロボックンクルというアイヌの小さな神様が出てきます。この神様を一寸の小人として書こうと。嬉しかったですねぇ、自分で日本のフェアリーを生み出したのですから。

まったく新しい物語

 この話を、書いては消し、書いては消して、原稿用紙300枚近くに仕上げたのが、昭和33年の暮れのことです。勤めていた出版社が仕事納めになり、夜、家族が寝静まってから、こたつに入り最後の章の清書をしました。書き上げて「どんな話が出来たのだろう」と最初から読み始めたら、こたつの炭の火が消えても、寒さも忘れて夢中になって、夜中の2時か3時になっちゃった。これまで読んだことのない新しい話ができたと自分でも思いました。
 これを出版社に持ち込んでもそのまま放っておかれるに違いないと思い、自分で本にしました。タイプ印刷の会社を起こした友人に、背広を作ろうと貯めていたお金で120部作ってもらいました。これが編集者の目にとまり、『だれも知らない小さな国』が出版されることになりました。

消しゴムで書く

 原稿は今でも鉛筆で書いています。まず書き損じの裏紙に下書きをして、パソコンに打ち込んで推敲していきます。昔は「消しゴムで書く」というくらい原稿を直して、消しゴムのくずだらけになってやっていました。勤めながら書いていた頃は、出張もよくあったので、原稿を持ち歩いていました。宿屋で書くわけではないけれど、家に置いておいて燃えてしまったら困ると思って。それくらい大事でした。
 童話を子どものために書くという人がいますが、僕は自分のために、自分が面白がれる作品を書いています。大人にも読んでもらえないと意味がない。児童文学におけるたった一つの制約は、作品を子どもが読んでもわかるように書くことだけで、あとは自由に書いていいのです。
 ファンタジーは、メルヘンと違い、リアリズムの延長線上にあります。リアルな事柄を少しずつずらしてストーリーを組みたてるのです。ひとつひとつの要素は本当のことで、それをちょっとだけずらしていく。そうすると、ちょっとやそっとじゃ崩れない壮大な嘘になるのです。ちょうどレンガを少しずつずらして積んで、眼鏡橋をかけるようなものです。
 今書いている本は、若い頃に参加した児童文学の同人誌『豆の木』の周辺の話です。忘れていることもあるので、小説として書いています。もうじき完成します。

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